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通勤電車では通学する学生さんたちと同乗することがあります。
春先は電車に乗り慣れてない新入生の姿もちらほら。

高校進学の際は何かしら自分の進路を考えて高校を選んで受験をしたことでしょう。
そこでふと思うことがあります。

彼らは自分の意図する方向へ進んでいるだろうか。

意図しない方向へ進んでいるなどということは無いだろうか。

きわめて大きなお世話なのですが、我が身を振り返るとそのように思ってしまうのです。
自分自身が自分の思う道に進めなかった過去があるから。

受験に失敗(不合格)してしまったからではありません。
希望した高校への進学を親に許してもらえなかったのです。

水産高校への進学を希望したのですが反対に遭い、最終的には
「金を出すのは親である自分たちなのだからお前に決める権利は無い」
という理屈で受験すらさせてもらえませんでした。

結局、合格ラインぎりぎりの公立高校が不合格となり滑り止めの私学へ進みました。

ここでたいていの人は次のように思うでしょう。
「やりたいことがあったのならその私学を卒業してからでもできるでしょ。私だったらそうするよ?」
そう思いますよね。
確かに仰る通り。
他人の人生ですからね。
簡単にそのように考えることでしょう。

しかし自分には根性がなかったためか、軟弱にも意気消沈し高校卒業後の将来像を描けなくなりました。
今思えば学校生活にも身が入っていなかったと思います。
それでも自主退学や登校拒否することなく部活もこなし通学してました。
そしてそのまま何をやりたいのか向き合う事無く卒業。

意図しない方向へ進んでそれを続けてしまうとその状況で頑張らざるを得ません。
自分の性分に適さないことでさえ頑張ってしまう、やりきってしまう。
ただしその頑張りが将来につながることはありません。

自分の性分に合わないことに没頭せざるを得ないという状態は、何をしたいかわからないという状態よりひどいように思われます。
やることが目的になってしまい、何を成すかは念頭にない。
最終的に、頑張ったこともやり遂げたことも自分の屋台骨にはならない。

こんな虚しいことはありません。

学生の人たちには自身の思う方向へ邁進してほしい。むしろそうあるべきだ、とまで思ってしまいます。
まったく大きなお世話なのですが、自身の経験からそのように考えてしまうのです。